

はじめに:救急医療におけるDXの必要性
近年、少子高齢化の進行や感染症の蔓延など、医療体制を取り巻く環境は厳しさを増しています。特に、救急医療の現場では、一刻を争う状況下で、迅速かつ的確な医療を提供することが患者の予後を大きく左右します。こうした状況下で、情報通信技術(ICT)や人工知能(AI)を活用した医療DXが注目されています。医療DXは、医療現場の様々な課題を解決し、より質の高い医療サービスの提供を可能にする可能性を秘めています 。本稿では、救急医療におけるDXの現状と課題、そして未来への展望について解説します。
救急医療における従来の課題
救急医療の現場では、長年にわたり、以下のような課題が指摘されてきました。
情報共有の遅延: 病院間や救急隊との情報連携が紙ベースや電話連絡に依存している場合、情報共有に遅延が生じ、迅速な対応が困難になります。 例えば、救急隊員は現場で患者の容態に関する情報を紙の帳簿に手書きで記録し、搬送先の病院調整を電話で行っています。この電話調整には1件あたり3分程度かかり、病院側での受け入れ可否の検討に10~15分を要するケースも多い 。受け入れ不可の場合、次の病院でも同様の作業を繰り返す必要があり、搬送時間の長期化につながっています。
搬送先の選択ミス: どの病院がどの程度受け入れ可能か瞬時に把握しにくいため、救急車のたらい回しになるケースが発生します。 多くの地域の救急医療情報システムは、情報入力の煩雑さなどの理由により、十分に活用されていないのが現状です 。
限られた診断支援: 搬送中や初療室で利用できる医療情報が限られており、医師の負担が増加しています。
搬送後のデータ転記: 救急搬送後、救急隊員は病院で患者を引き継いだ後、改めて正式な書類を作成し、消防署に戻ってから総務省消防庁に提出するためのデータ入力を行う必要があります。多くの場合、手入力でデータ転記を繰り返しており、大きな負担となっています 。
これらの課題に対処するために、DXへの期待が高まっています。
DXがもたらす救急医療の変革
DXは、救急医療の現場に以下の様な変革をもたらしています。
救急搬送システムの効率化: 従来、救急隊員は現場到着後、医療機関への連絡を行い、受け入れの承諾を得ていました。DXの導入により、地域の医療機関の空床情報や専門科の稼働状況をリアルタイムで確認できるシステムが普及し始めています。 これにより、搬送先の選定が迅速化され、救急車のたらい回しを減らすことが期待されます。
データ連携と情報共有の円滑化: 患者のバイタルサインや緊急対応の内容を、電子カルテやクラウドシステムを介して病院側と共有する仕組みが整いつつあります。 例えば、「NEXT Stage ER」は、従来の電子カルテに記載されたテキストを自動的に構造化し、多様なシステムとの橋渡しを担う共通データベースを構築することができます 。これにより、病院側は事前に患者の状態を把握し、準備を整えることができるため、到着後の治療開始までのタイムロスを大幅に短縮できます。また、消防機関等の把握しているデータと医療機関が把握しているデータを連結することで、救急医療の質の向上につながることが期待されています 。
政府は、特定機能病院や地域医療支援病院、救急病院などに「標準化した情報の授受を可能とする電子カルテを整備(既存システム改修)し、電子カルテ情報共有サービスに参加する」ことを努力義務化しようとしています 。これは、医療機関間でのデータ連携を促進し、救急医療における情報共有をさらに円滑化するための取り組みと言えるでしょう。
AI活用による診断支援: AIを用いた画像解析システムや自動トリアージアプリが、脳卒中や心筋梗塞など時間的制約の厳しい疾患の早期発見に貢献しています。 搬送途中に画像検査データをアップロードし、専門医が遠隔で診断支援を行う試みも始まっており、救急医療の精度向上が期待されています。 さらに、AIはゲノム医療の分野でも活用が進んでおり、AIによるゲノム(遺伝子)配列の分析や、がん治療の最適化に貢献しています 。
AIは、GPSなどの情報と組み合わせることで、救急車の迅速な到着を支援することもできます。AIは、周辺の交通状況や事故情報などを分析し、迅速な到着を妨げる要素を予測することで、救急車が最短かつ安全な経路で目的地に到達できるようサポートします 。
また、DXの導入により、現場情報の可視化と多職種への一斉伝達が可能になることで、情報共有の迅速化、ミスコミュニケーションの削減、搬送先のミスマッチの削減などが期待されます 。
具体的なDX導入事例
救急車内での即時情報送信: 一部の自治体では、救急車内にタブレット端末やポータブルWi-Fiを導入し、現場での対応内容や患者の容態を病院へ即座に伝えるシステムを運用しています。 これにより、病院側は事前に患者の状態を把握し、必要な準備を行うことができるため、救命率の向上に繋がることが期待されます。
現場での迅速なトリアージ: タブレットやスマートフォンを用いたトリアージアプリを活用し、症状の判定を迅速かつ的確に行う事例が増えています。 トリアージアプリは、患者の症状に基づいて緊急度を判断し、適切な医療機関への搬送を支援する機能を備えています。これにより、看護師や救急隊員による判断のばらつきを減らし、優先度の高い患者を救命できる可能性が高まります。
スマートデバイスやモニタリングシステム: ウェアラブルデバイスを装着することで、心拍や血圧などのバイタルデータをクラウド経由で管理し、医療従事者がどこからでもアクセスできる環境が整備されつつあります。 これにより、患者の状態をリアルタイムで把握することができ、より迅速な対応が可能になります。
救急医療情報システム「NSER mobile」: 救急現場と搬送先医療機関間のコミュニケーションを円滑にし、救急活動の効率化や適正化を図るシステムです。 救急車に配備されたタブレット端末で収集した傷病者情報を迅速に搬送先病院に送信し、病院の受け入れ準備を効率化します。 北九州市では2025年1月より本格運用が開始されました 。
「NSER mobile」には、救急隊員が現場の傷病者情報を音声入力すると、生成AIによる構造化された救急活動記録が作成される機能が搭載されています 。救急隊員は入力方法やデータフォーマットを意識することなく、音声による情報入力により効率的かつ詳細に傷病者の状態を記録し、医療機関等と情報共有することが可能となります。また、OCR機能や画像添付機能と組み合わせることで、キーボードを使った手動での文字入力をほとんど行うことなく、救急活動記録を作成することができます 。
課題と今後の展望
救急医療におけるDXは、多くの可能性を秘めている一方で、いくつかの課題も存在します。
プライバシー・セキュリティ問題: 個人情報保護とセキュリティの両立は、医療DXを推進する上で重要な課題です。 患者のプライバシーを守りつつ、安全にデータを活用するための対策が必要です。
技術への対応と医療従事者の教育: 新しいデジタルツールに関しては、医療従事者の理解と研修が不可欠です。技術が高度化するほど、導入後の運用・保守に必要な人材育成とシステムの安定稼働が課題となります。
費用対効果: 高度な医療機器やシステムの導入には、多額の費用がかかります 。限られた予算の中で、費用対効果を考慮した導入計画を立てる必要があります。
病院のシステム連携: 病院で利用される電子カルテシステムを外部ネットワークに接続・連携させることは、セキュリティ上の懸念から困難であり、多額のコストがかかる可能性があります 。
患者同意: 診療目的の医療情報連携には、本来であれば個別患者同意は不要であると考えられますが、地域医療連携の運用主体が法的な運用スキームを明確化できていないため、地域医療連携システムへの登録のために紙の同意書を取得しなければならないケースが生じています 。
これらの課題を克服し、DXのメリットを最大限に活かすためには、以下のような取り組みが重要となります。
関係者間の連携強化: 医療従事者、IT技術者、行政機関などが連携し、共通の目標に向かって協力体制を構築する必要があります。
標準化の推進: データ形式やシステムの標準化を進めることで、異なる機関間での情報共有を円滑化し、相互運用性を高める必要があります。
法整備: 医療情報の取り扱いに関する法整備を進め、個人情報保護とデータ活用のバランスを確保する必要があります。
救急医療におけるDX関連の主な取り組み
取り組み | 内容 | 具体的な例 | 主な利点 | 現状 |
医療DX令和ビジョン2030 | 医療分野のデジタル化を推進する取り組み | 全国医療情報プラットフォームの創設、診療報酬改定DX | 医療の効率化、情報共有の改善 | 2025年度中に本稼働予定 1 |
全国医療情報プラットフォーム | 医療情報を共有するための基盤 | 電子カルテ情報、レセプト情報、特定健診情報など | 医療機関間での情報連携強化 | 開発中 1 |
電子カルテ情報共有サービス | 患者の診療情報を医療機関間で共有するサービス | 過去の病歴、アレルギー情報、投薬情報など | 迅速な診断、医療ミス防止、重複検査の回避 | 2025年3月までにオンライン資格確認等システムを導入したほぼ全ての医療機関・薬局に導入予定 1 |
標準型電子カルテ | 標準化された電子カルテシステム | 相互運用性の向上、データ連携の促進 | 2030年までに100%普及を目指す 1 | |
共通算定モジュール | 診療報酬算定を効率化するプログラム | 診療報酬改定に伴う情報更新の迅速化 | 導入済み 1 | |
救急医療情報システム「NSER mobile」 | 救急現場と病院間の情報連携を支援するシステム | 傷病者情報、バイタルサイン、画像データの送信 | 搬送時間の短縮、搬送先選定の効率化、情報共有の円滑化 | 北九州市で2025年1月より本格運用開始 2 |
AI活用による診断支援 | AIによる画像診断やトリアージ支援 | 脳卒中の画像診断、自動トリアージアプリ | 迅速な診断、適切な治療の提供 | 導入が進んでいる |
まとめ:未来の救急医療を支えるDX
救急医療の現場は常に時間との闘いです。デジタル技術を活用したDXは、従来の限界を超え、救急医療に変革をもたらしています。救命率の向上、医療資源の有効活用といったメリットを最大限に引き出すためには、正確な情報の共有、セキュリティ強化といった課題の継続的な解決が求められます。今後、医療DXの発展は、救急医療の未来を大きく変えていくでしょう。 例えば、遠隔医療技術の進歩により、専門医が不足している地域でも質の高い救急医療を提供できるようになる可能性があります。また、AIによる患者の状態予測や個別化医療の進展により、より効果的な治療法の開発や、患者の予後改善に繋がることも期待されます。
出展元

Dr.JOY株式会社 AI電話事業部 カスタマーサクセス
能井
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